2014年7月5日土曜日

COCHIN MOON (コチンの月) : 細野晴臣&横尾忠則

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日本のポピュラー音楽におけるパラダイムをシフトさせたのがYMOだと仮定する。その中でも、YMO中心人物である細野晴臣の作品におけるパラダイムが変わってしまったのが「コチンの月」であったと本人も述懐している。そうなると、日本のポピュラー音楽の転換点となったのが本作ということになる。決して有名な作品ではないが、このサイケデリック・トリップ・ミュージックに身を委ねると、そういう気がしてくる。

重要なのが、本作は美術家である横尾忠則との共同名義である点だ。そもそもは70年代にインドおよびその精神世界へ深く傾倒していた横尾氏が、レコード会社からサウンドコラージュをモチーフとした作品制作の依頼を受けていたらしい。そこで横尾氏は細野氏をインドに連れて行き、「この作品は細野くんが作るべきだ」と無茶ぶりをしたそうな。細野さんは「ああ、そうなのかな」といつの間にか下請けとして巻き込まれてしまった逸話が笑える。

横尾氏と細野氏を中心とする御一行は南インドへ向かい、当地の総領事からのおもてなしなど破格の待遇を受けた。しかしながら細野氏は死を自覚するほどの強烈な下痢に苦しみ、UFOを目撃するなどの超常現象にも遭遇。そこで、マドラス総領事夫人から「治してあげます」と言われてわずか30分で急激に回復。現実と超現実の間を行き来するような出来事が起きる。でもそれがインドなのだから仕方がない。

横尾氏から「出るものは出した方がいい」と言われ、強烈な下痢による浄化体験をした細野氏は、帰国後に松武秀樹氏やシンセサイザーと邂逅する。そこで作り上げたのが「コズミック・サーフィン」(過去レビュー)であり「コチンの月」なのだ。それまでのトロピカル3部作の香りを漂わせながら、電子音楽へとパラダイムを180度シフトさせ、後のYMOへと続く源流を完全に確保。YMOファーストアルバムのA面と共時性を持たせ、さらには名作「テクノデリック」の伏線まで張られている。

曼荼羅のようにめくるめくトリップミュージックであると同時に、サイケデリックテクノであり、アンビエントであり、プログレッシヴだ。特に「肝炎」や「マドラス総領事夫人」といったトラックは、タイトルとの関連性が見いだせないほど覚醒感がある。こういった作品の中で横尾氏が果たした音楽的役割とは何か?ふらりとレコーディングに現れては「これは強面だね」と意味不明なセリフを残しては去っていく。これこそが偶然性を持っている横尾氏なのだ。

外界からの入り口を果たす口腔から、内在宇宙を経て、やがては外界への出口となる肛門から出ていく大いなる流れ。それはまるでクラインの壺のようだ。下痢で生死の境をさまよった体験から導かれた本作こそ、東洋と西洋を結合させたエポックメイキングな作品であり、日本のポピュラー音楽におけるパラダイムをシフトさせた作品であると確信を持って言える。

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